国家に権力を持たせる代償

足利事件で冤罪で服役中の方が釈放されたそうです。
騒いでいるなかでちょっとした疑問。


法律屋ではないので、解釈は個人的なものですが、

    1. 十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
    2. すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
    3. 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

公共福祉って誰が判断できるのかな?
公共って、区切る大きさによってぜんぜん変わってくるものと思う。
小さいレベルでは、2人からのコミュニティーから....
規模が大きくなるにしたがって全体がつかめなくなってしまう。
それを裁判などで決めるにしても、個人として生きてしかいない人にどうやって決めることができるのだろうか?
法律という文にしばれれるものとしても、文の解釈はそれぞれが違う。
だから、過去の判例に従うとか言うわけのわからない方法をとる。
不平等をなくすために、それぞれ、条件が違うものに同じ結果を当てはめることによって、新たなる不平等ができていく....
どうせ人間なんて、最初っから平等でないんだからというか、
個々はそれぞれした独立した個人で、おのおの生い立ちや環境、運命(?)が違うんだから。
極論で言うと(本当に極論のところばかり取り上げるのどぇ問題が多いが....)
殺人の犯人が見つからないことによる社会不安よりも、誰でもよいから見つかって、それによってもたらされる市民の心の平安などの利益と、
冤罪で処罰される人とその関係者の不利益と比べてどちらが大きいかという問題ではないかと思う。
決して、検察の見つけられないことによる評価の低下の不利益、や、見つけられることによる評価UPされる利益ではないことは当然だけれどもね。
組織は公共ではなさそうだということです。

私自身がダンプに轢かれて死にかかった人間のたわごとです。
まだ生きているだけよかったじゃないか?
事故、病気などでで家族を失った人は、家族が刑務所ででも生きていてくれたらと思うよきっと。
死刑廃止論とかとも絡むのだけれど、エラーなしは無理なんだから、何度でもリトライできるような世の中であってほしい。
人生は限られているので、それぞれリトライできる数には限りがあるけどね。

エラーが回復して、老年期になって、家族もなく補償金(1日数千円程度?)をもらっても厳しいかな。
金の問題じゃないけど。