臓器提供と火葬、埋葬許可の違いについて

"5病院で脳死移植手術=家族承諾で2例目"の記事がニュースを賑わしているが、例によって極論で戯言を考えている。
"本人の意思を確認していない"けど、医師が死亡を宣言して、一定時間後に火葬、火葬後の埋葬許可って、本人の意思確認していないけどどうなんだろうね?
もしかしたら、足立区の人のように即身成仏したかったのかもしれないし、ナチュラリストのため、火葬されるよりも自然に任せてより大地に帰りたいという意思を持っていたかもしれません。
意思を確認していなくて、法律に基づき処理を行うことに関して、通常の死亡後の処理と脳死者の臓器提供に関してはほとんど違いが見受けられないような気がします。
死体の所有権は誰にあるのか?
相続人なのか、それとも、ないのか?
そこから、派生する問題としては、生きている間の肉体の所有者は誰なのか?
本人なのか、社会なのか、国家なのか?
生きていることって結局何なのかということに向かっていきます。
意思とは何か?
それは一体どこにあるのか?
肉体と意思の関連は?.....
少なくとも、これまでに死を経験しなかった人間は存在しなかったらしいということだけは確からしい事実のようです。
事故でぽっくり死のうが、病気で苦しみながら死のうが、絞首刑によって死のうが、脳死判定されながら意思や感覚が残りながら臓器摘出によって死を迎えようが結論はおんなじだよね。
これじゃ糞味噌一緒かもしれませんけど

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脳死とはいえ、まだ脈打っている脳死者に対して、臓器摘出を行い、摘出中に肉体の死亡の推移を経験された移植医師の方のほうこそ、葛藤があるのではないかと思います。
私が脳死になった場合などは、気にせず摘出してOKですよ。